ティッシュの会

大阪の演劇ユニット

カテゴリ: トロイカ&リビエラ

暖冬だと言っていたけれどここ、数日は、とても寒くて、まあ冬らしい気候というのになってきました。けれど、寒くなると、やはり外に出るよりは、部屋の中で過ごしたいなあと思います。とても寒い国の人だって、外は、とても気温が低いだろうけど部屋の中は、かなり室温を上げる工夫がされているはずだと思う。そうしないと人間、生活できないし、どこかでホッと出来る間というのを持たないと、ストレスがたまってしまうと思うのである。自然が厳しいからこそ、ホッと出来るというのは、ある意味、自然への感謝でもあると思う。毎日、夏というのも、毎日冬というのも、又春夏秋冬があるというのも、人の成長や、物事への考え方に大きな影響を与えているだろうし、なんとなく科学も、四季のある国の方が進んでいる気がするし、哲学もやはり四季のある方がなんだか生活に共生しているように思う。そうすると、私たちが考える才能というものも、どこに生れて来るかで大きく違うだろうし、自分の意志だと思い込んでいるものだって、もっと大きな意思の影響を受けているだろうし、努力だって成果の出る環境があったからこそ、生かされたのだろうし、ほとんど、私たちは、生かされているとしか、考えようが無いのである。不思議だけれど、そうなのだ。
2019.1.25 久米

今年は暖冬だと言うけれど、今の処は、その予想は当たっていて、本当に寒い日というのは無い気がします。クリスマスの今日、ケンタッキーフライドチキンには、歩道の信号機の所まで、人の列が出来ていました。やはり、日本は、本当に豊かなんだなあと思いました。地球上の格差、そして、この街のどこかには、マッチ売りの少女のような子が存在するわけで、いつの世も、みんなが豊かであるというのは、難しいわけで、一方で本当の豊かさとは、と言いだしたら議論に終わりは、ないわけで宇宙が、すべてを含んでいると考えたら、この地球上にもすべてが存在するわけで、自分の生活圏の街を考えても、ほとんどすべてのものを含んでいるはずです。宇宙があって、地球があって、自分の命があって、今がある、それがすべてのような気もします。自分自身にも歴史があり、生まれて来て、受験があったり、成人したり、就職したり、結婚したり、又、地球にも歴史があり、それをすべて含む宇宙にも歴史があります。でも今というのは、宇宙、地球、自分のある一点だから奇跡であると言っても良いかもしれません。すると奇跡の連続というのが時間であるから、世の中、何が起きるか判らないということになり、人生というものも生き切ってみないと判らないということになります。すると、ひょっとして、自分というのは、奇跡ということなのかなあ?
2018.12.25 久米

今年もあと僅かで、時間は、あっという間だというのが実感です。おそらく誰でも自分の持ち時間は、少ないなあと思っているのではないでしょうか。でも、その少ない持ち時間の中で、どんどん仕事をすすめて行く人は、居るわけだし、時間だけは、すべての人が平等にある筈です。小学生の頃には、自分が死人になるまでには、気が遠くなるような時間が必要だと考えていましたが、実はそうではなくて、意外とあっという間だという事が解ってきました。時間を味わうように生きられたら幸福なのでは、ないかと最近思います。時間を味わうように生きるというのは、お金があるとか、人間関係に恵まれてとかと同じか、それ以上に重要なのではないかと思います。おいしい時間を過ごす、ひょっとして、次の時代の経営テーマは「おいしい時間の過ごし方」では、ないかと、いつも時間が足りないのは、欲ばり過ぎて、もっとシンプルに自分にとって必要なものを絞り込むべきだということかも知れません。優先順位のつけ方の上手な人というのが、おいしい時間を過ごしているのかなあとか、でも偶然の多い人ほど幸福な気もするし、その人の努力だけでもなしに、天との関係のような気もするし、いったい「おいしい時間」というのは、どうすれば良いのか、でも、夢中で生きてきた人というのは、いわゆる良い顔というのをしているんですよねえ。
2018.11.25 久米


朝晩に関して言うと、すこし寒いという感じで、もうすっかり衣更えという人もいます。こうなるとあの暑かった夏もすっかり忘れてこれからやって来る冬に向けて気持ちが行きます。何回も何回もこうやって季節を体験するごとに、あの出来事は何時の出来事だったのかすっかり忘れて、あれからもうそんなに経ったのかとよく驚いてしまいます。そうやって色々な人の想いが重なっているのが、連続する空間で時の流れという事になるのだと思います。想いはいつも新鮮で、その頃と少しも変わっていないのに顔の皺だけは増えていたりだとか、足腰だけは弱くなって、あの頃とは歩き方が変わっていたりだとか、他人から見れば明らかに時間の経過を感じてしまいます。本当に美しい人生とは何なのか。時間を体験するという事は何なのか、謎です。ひとつの物が100面体だとか200面体だとか、もっと多いものだとして、どの角度から見ても美しい物というのは、無いのかも判りません。完全形の美しさというのがあれば、そこに人間は美しさを感じないのかも判らないし、どんな美しい人も老いて最期は人のお世話にならないといけないし、どんな英雄も最期は弱いものだろうし、こうあって欲しいと言う人間の想いが絶世の美女も英雄も創りあげているのではと実はみんな凡人なのではないだろうかと考えてしまいます。
2018.10.25 久米

今年は、大阪に台風も上陸して、すごい被害を受けて、改めて自然の力の大きさを感じました。おそらく人間は、昔から自然に苦しめられながら、それでもくじけることなく仕事に打ち込んで来たのだと思います。それとは逆に自然に助けられて生きて来られた事もたくさんあるはずで、私たちが毎日口にする食べ物も自然からの恵みです。おそらく自然は優しさと厳しさを同じだけ持っているということなのだと思います。今、中国や韓国、色々な国から観光客がやって来ますし、私も毎日、外国人の観光客を目にします。先日明らかに観光客のおそらく中国人の夫婦が私の名前を呼びます、一体誰なんだ、一瞬そう思います、記憶が甦ります、“セン・チャウン”彼の名前です。それまでに時々思い出す事がありました。今から27~28年前、働いていた中国人の若者です。当時、彼は、父親が台湾で製薬会社をやっていて、母親はドミニカ共和国で旅行会社を、そして家族は、香港で住んでいました。国籍は、台湾だったと思います。当時、彼は両親に心配を掛けていて、彼の将来を心配した両親が、ある人を通じて、日本に一人で修行に出そうと、その結果、私の店で働くことになりました。一年ほどいて、ホームシックになり帰りましたが、その彼が嫁をつれてやって来ました。彼は48才、嫁は、36才、すごい再会です。
2018.9.25 久米

まだまだ暑いけれど、空気はあきを感じさせるものがあります。何かに夢中になるという事は、ある時“はっと”した感じで、自分と外界の接点を感じさせるものがあるものです。それは、自分が何かに打ち込んでいないと感じる事の出来ないものでもあります。その一瞬というものは、快感でもあり、人が何かの成長のきっかけになる一瞬でもあるのだと思います。時間は一瞬の連続なのだけれど、濃淡があり、同じ時間の連続でも違うものです。それは、人によっても違うものでもあるようで同じ事や物を見つめても考え方や結論が違うように、そこには、経験やその人の背景にある歴史が関係するようです。衣食住は人が生きていく基本だけれど、食に対する考え方も人それぞれで、何故か、食べ物の好き嫌いの多い人は、人の好き嫌いも多いし、食べ方の汚い人は、やはり、生き方も整理整頓が行き届いていないように思います。これは、私見ですけれど、自営業の人で食べ方の汚い人というか、食べ残しの多い人というのは、何故か破産する人というのが多いのですが、もちろん、これは私見ですけれど!!
2018.8.25 久米

地震に大雨に猛暑と大自然は動いている感じだけれど、人間は、それに大きく人生を変えられて、それでも明日はやって来るから生きてゆくしかないのだけれど、つくづく、未来というのは追いかけるものでもなくて、向こうからやって来るものだと思う。それは、どんな風なものかは、判らないけれど、私たちは、それに対応して行くしかないのである。なら、何が出来るのかそれは、覚悟を持って今日を生きるしかないのではないかと思う。そんな事考えていたら、何を何時楽しむんだという事になろうけれどそれは、つまり、今を生きるという事なのだと思う。一般に時間の流れは、直線的に考えられるけれど、実は、そうでは、ないのだと思うし、たぶん立体的な構造だと思うし、過去のとらえ方によって、今も未来も変化するだろうし、未来のとらえ方によって、今も過去も変化するように思う。これから、来る未来は、変える事が出来ないけれど自分の過去は、変える事は、できるとはずだと思う。いつも自分史というのは、自分の主観でしかないのは、今の点としての自分の存在だけで、確実なのは、今だけなのだと思う。未来を充実させたければ、自分の過去を充実したものにする事だと思う。最も充実した状態というのは、つまり、感謝だったりありがとうだったりするのだと思う。やはり宗教と物理学は、最終的には、同じ所に落ち着いてしまうのではないだろうか。
2018.7.25 久米

湿度が上がり、気温も高くなってきました。最近はこの気温と湿度のせいで疲れ易くなってきた気がします。世の中は不景気であり、ある所では人手不足で困っていたりします。スーパーやコンビニの売上が減っても、大型の薬局のチェーン店は好調で出店も加速しているみたいです。店舗の売上が減ってもその商品は、消費者の方はネットで購入していたり買う所が変わっただけで、その分、別の所でちゃんと消費されています。人はどんどん便利を求めるらしいですが、逆にあえて不便を求めるというのもあります。ペットボトルの水を買い求めたり、野外キャンプをやってみたり、それは、それで求めるものが違うのでそうなるのだとと思います。これから高齢化社会で人口減少、土地あまりの世の中で、だからこそもとめられるものがあるだろうし、それでも不変のものがあるはずで、未来は想像できる部分もあるし、そうだったのかと、あとから気がつくものもあるはずです。確かに、江戸時代や明治時代よりも今のほうが便利であるというのは、事実だと思います。でも当時は全く気にしなくてもよかったものが、今はとても重要であるという部分もあるはずです。教育水準が上がった分、クレームや世の中への不満も増えたような気もします。それでも、人々は、より便利な方向へと世の中を進めていくのだなあと思います。
2018.6.25 久米


蒸し暑い日が続きます。もう近畿も梅雨入りかなという感じですが、人の運命がどうあろうと季節は変わり時は流れます。どこかのお寺に、「生は偶然、死は必然」だとありましたが、その通りだと感心してしまいます。本来宇宙的に考えれば生も死も同じなのかも判りませんが、私たちは生きている間がすべてだと考えてしまいます。私たちの頭の中では、死んでいる間とこの世の事をつなげて考えられないようになってしまっているから、でもそれも、これからは変わってくるかも判りません。もうすぐ、キャッシュレスの時代がやって来ますが、それが、生活にどんな変化をもたらすのか、考え方にどんな変化をもたらすのかは、判りません。でも昔から財を求め蓄財にはげむ人はいるし、やはりこれからもいるように思います。又、一方で、それは人々に大きな考え方の変化をもたらすようにも思いますし、居心地の良い社会とは、どんな風なのだろうと考えてしまいます。たぶん今以上に共通の価値観の人は横につながり易いだろうし、それが力となってその人たちを社会で生き易くするための推進力にはなるように思います。どちらにしてもこれからは内容の無い人間というのは生きていく事に苦労する時代の様に思います。
2018.5.25 久米



季節は、もうすっかり春の訪れです。どんな人にもどんな事にも時間は止まることがありません。経済というのは人間の考えた事だけれども、それで共通項として多くの人が生活しているのだから、それは大きく考えると神の力が働いているのだと思う。効率優先の時代、非効率優先の時代というのもこれから先、あるのかもわからない。ただ、いつもそこが完成型というのではないからある一瞬では、それは正解でも、次の瞬間にはそれは不正解という事もあるので、これで良いというのは、無いような気がする。ただそこに流れる宇宙の法則というか真のルールはあるはずで、それを的確に捉える人だけが生き残るのである。又、人の一生で考えるとその人の現役時代の繁栄がその人の人生の成功というのにつながるかというとそうでないケースも多々あるし、目立たなくてもその人の一生というもので考えると「よかっただろうなあ」と思える一生もたくさんある。ただ私の会う多くの老人たちはどうでしたかと尋ねると「まあ良かったかなあ」と答えるのである。それはまず、出会う人は健康であるし、健康であるから出会うのであるし、健康というのは実はその人の人間関係、経済力、内面的充実度の結果なのではないかと最近思うのでした。
2018.4.25 久米

↑このページのトップヘ