ティッシュの会

大阪の演劇ユニット

カテゴリ: トロイカ&リビエラ

今年は、大阪に台風も上陸して、すごい被害を受けて、改めて自然の力の大きさを感じました。おそらく人間は、昔から自然に苦しめられながら、それでもくじけることなく仕事に打ち込んで来たのだと思います。それとは逆に自然に助けられて生きて来られた事もたくさんあるはずで、私たちが毎日口にする食べ物も自然からの恵みです。おそらく自然は優しさと厳しさを同じだけ持っているということなのだと思います。今、中国や韓国、色々な国から観光客がやって来ますし、私も毎日、外国人の観光客を目にします。先日明らかに観光客のおそらく中国人の夫婦が私の名前を呼びます、一体誰なんだ、一瞬そう思います、記憶が甦ります、“セン・チャウン”彼の名前です。それまでに時々思い出す事がありました。今から27~28年前、働いていた中国人の若者です。当時、彼は、父親が台湾で製薬会社をやっていて、母親はドミニカ共和国で旅行会社を、そして家族は、香港で住んでいました。国籍は、台湾だったと思います。当時、彼は両親に心配を掛けていて、彼の将来を心配した両親が、ある人を通じて、日本に一人で修行に出そうと、その結果、私の店で働くことになりました。一年ほどいて、ホームシックになり帰りましたが、その彼が嫁をつれてやって来ました。彼は48才、嫁は、36才、すごい再会です。
2018.9.25 久米

まだまだ暑いけれど、空気はあきを感じさせるものがあります。何かに夢中になるという事は、ある時“はっと”した感じで、自分と外界の接点を感じさせるものがあるものです。それは、自分が何かに打ち込んでいないと感じる事の出来ないものでもあります。その一瞬というものは、快感でもあり、人が何かの成長のきっかけになる一瞬でもあるのだと思います。時間は一瞬の連続なのだけれど、濃淡があり、同じ時間の連続でも違うものです。それは、人によっても違うものでもあるようで同じ事や物を見つめても考え方や結論が違うように、そこには、経験やその人の背景にある歴史が関係するようです。衣食住は人が生きていく基本だけれど、食に対する考え方も人それぞれで、何故か、食べ物の好き嫌いの多い人は、人の好き嫌いも多いし、食べ方の汚い人は、やはり、生き方も整理整頓が行き届いていないように思います。これは、私見ですけれど、自営業の人で食べ方の汚い人というか、食べ残しの多い人というのは、何故か破産する人というのが多いのですが、もちろん、これは私見ですけれど!!
2018.8.25 久米

地震に大雨に猛暑と大自然は動いている感じだけれど、人間は、それに大きく人生を変えられて、それでも明日はやって来るから生きてゆくしかないのだけれど、つくづく、未来というのは追いかけるものでもなくて、向こうからやって来るものだと思う。それは、どんな風なものかは、判らないけれど、私たちは、それに対応して行くしかないのである。なら、何が出来るのかそれは、覚悟を持って今日を生きるしかないのではないかと思う。そんな事考えていたら、何を何時楽しむんだという事になろうけれどそれは、つまり、今を生きるという事なのだと思う。一般に時間の流れは、直線的に考えられるけれど、実は、そうでは、ないのだと思うし、たぶん立体的な構造だと思うし、過去のとらえ方によって、今も未来も変化するだろうし、未来のとらえ方によって、今も過去も変化するように思う。これから、来る未来は、変える事が出来ないけれど自分の過去は、変える事は、できるとはずだと思う。いつも自分史というのは、自分の主観でしかないのは、今の点としての自分の存在だけで、確実なのは、今だけなのだと思う。未来を充実させたければ、自分の過去を充実したものにする事だと思う。最も充実した状態というのは、つまり、感謝だったりありがとうだったりするのだと思う。やはり宗教と物理学は、最終的には、同じ所に落ち着いてしまうのではないだろうか。
2018.7.25 久米

湿度が上がり、気温も高くなってきました。最近はこの気温と湿度のせいで疲れ易くなってきた気がします。世の中は不景気であり、ある所では人手不足で困っていたりします。スーパーやコンビニの売上が減っても、大型の薬局のチェーン店は好調で出店も加速しているみたいです。店舗の売上が減ってもその商品は、消費者の方はネットで購入していたり買う所が変わっただけで、その分、別の所でちゃんと消費されています。人はどんどん便利を求めるらしいですが、逆にあえて不便を求めるというのもあります。ペットボトルの水を買い求めたり、野外キャンプをやってみたり、それは、それで求めるものが違うのでそうなるのだとと思います。これから高齢化社会で人口減少、土地あまりの世の中で、だからこそもとめられるものがあるだろうし、それでも不変のものがあるはずで、未来は想像できる部分もあるし、そうだったのかと、あとから気がつくものもあるはずです。確かに、江戸時代や明治時代よりも今のほうが便利であるというのは、事実だと思います。でも当時は全く気にしなくてもよかったものが、今はとても重要であるという部分もあるはずです。教育水準が上がった分、クレームや世の中への不満も増えたような気もします。それでも、人々は、より便利な方向へと世の中を進めていくのだなあと思います。
2018.6.25 久米


蒸し暑い日が続きます。もう近畿も梅雨入りかなという感じですが、人の運命がどうあろうと季節は変わり時は流れます。どこかのお寺に、「生は偶然、死は必然」だとありましたが、その通りだと感心してしまいます。本来宇宙的に考えれば生も死も同じなのかも判りませんが、私たちは生きている間がすべてだと考えてしまいます。私たちの頭の中では、死んでいる間とこの世の事をつなげて考えられないようになってしまっているから、でもそれも、これからは変わってくるかも判りません。もうすぐ、キャッシュレスの時代がやって来ますが、それが、生活にどんな変化をもたらすのか、考え方にどんな変化をもたらすのかは、判りません。でも昔から財を求め蓄財にはげむ人はいるし、やはりこれからもいるように思います。又、一方で、それは人々に大きな考え方の変化をもたらすようにも思いますし、居心地の良い社会とは、どんな風なのだろうと考えてしまいます。たぶん今以上に共通の価値観の人は横につながり易いだろうし、それが力となってその人たちを社会で生き易くするための推進力にはなるように思います。どちらにしてもこれからは内容の無い人間というのは生きていく事に苦労する時代の様に思います。
2018.5.25 久米



季節は、もうすっかり春の訪れです。どんな人にもどんな事にも時間は止まることがありません。経済というのは人間の考えた事だけれども、それで共通項として多くの人が生活しているのだから、それは大きく考えると神の力が働いているのだと思う。効率優先の時代、非効率優先の時代というのもこれから先、あるのかもわからない。ただ、いつもそこが完成型というのではないからある一瞬では、それは正解でも、次の瞬間にはそれは不正解という事もあるので、これで良いというのは、無いような気がする。ただそこに流れる宇宙の法則というか真のルールはあるはずで、それを的確に捉える人だけが生き残るのである。又、人の一生で考えるとその人の現役時代の繁栄がその人の人生の成功というのにつながるかというとそうでないケースも多々あるし、目立たなくてもその人の一生というもので考えると「よかっただろうなあ」と思える一生もたくさんある。ただ私の会う多くの老人たちはどうでしたかと尋ねると「まあ良かったかなあ」と答えるのである。それはまず、出会う人は健康であるし、健康であるから出会うのであるし、健康というのは実はその人の人間関係、経済力、内面的充実度の結果なのではないかと最近思うのでした。
2018.4.25 久米



やっぱり春がやって来たという実感です。どんな事があってもちゃんと春がやって来ます。ずっと冬というのは無いし、又、ずっと夏というのも無いのです。ある人からの「人生というのは、オセロゲームの様なもので、ある時、全部ひっ繰り返る事がある」という言葉が印象に残っています。確かに森友事件とか、リニアの事件とか見ているとそうかも知れません。でもそれは、世の中的な成功とか不成功という尺度で考えてみるとそうかも知れませんが、本人の内では幸福とか、いや「ちょっと違うなあ」とかいうのは、あると思います。世の中的成功と本人の幸福が一致すれば一番良いのだけれど、そうで無い場合というのもたくさんあるし、日陰の人だけれど、この人は幸福だろうなあというケースはたくさん有ります。インターネットの普及で、人間は、誰でもある一瞬だけ有名人になる事が出来るのだけれども、それで幸福かというとそうでも無い、やはり天知る、地知る、人知るで人間が知るのが一番遅いのであって、インターネットは天と人との間の時間を縮める役割は担っていると思う。どんなに世の中が進んで、便利になっても、根源的に優秀な人間というのは、内面の充実感というのを求めてその充実感と人間社会との結びつき方というのに腐心するのだと思う。
2018.3.25 久米



春が近づいてくると共にオリンピックも終わり、あれだけの一つ一つの競技の中にドラマがあるなと思います。すべての人はドラマの中に生きて来てそれぞれに大きなドラマがある筈です。神は細部に宿るのですから生きている限りドラマでありそこに感動がある筈です。感動のある人生でないとすればそれは全力で生きてないと言う事かも知れません。でも人間いつもそんなに全力で生きる事が出来るかと言うとそうでもなくて、時にはボーとしたり、時には集中したり緊張と弛緩を繰り返しながら生きている筈です。自分で集中して夢中になって没頭している時、それは自然と次に弛緩がやってくるだろうし、何も考えなくても良い状態だと思います。考えなくても目的に向って進んでいる、それは幸福だと思います。すると幸福というのは、すごく身近にあって実は自分がピンチな状態にあっても、とにかく出口向ってどんどん進んでいる、そこでは何も考えてなくて、本能に従って生きているその状態というのは実はとても幸福という事になります。社会的成功と不成功という事には関係なく、すべての人に幸福というのが存在するのです。つまり生きている人全員成功者という事です。良い世の中というのもすぐ近くにあるのです。
2018.2.25 久米



今日はとても寒い日で東京の方では雪が降り、コンビニとか新聞配達の人は困っているらしい。大阪はまだ寒いだけで、冬だからこんな事もあるだろうという感じだけれど。こんな時、人々は真夏には熱中症で倒れる人もある事を忘れてしまう。日本の国には四季がありそれが人間の徳を育んで来たという側面もあると思う。今日の長所は明日の短所でありいつも絶対というのは存在しない。では絶対というのは存在するのか解らないけれど存在しないという形で存在するのではないかと思う。例えばこの世の中に必ず法則というのは存在するのであって、無秩序に存在するのではないはずである。無秩序であってもその方向性を目指すというそれはそれで法則である。目に見える物というのは結果であってある流れの内での一点にしかすぎないのであって次の瞬間はどうなるか判らない。ただ目に見えるものが結果というのはこの世の掟であって全体の流れの内ではそれがどれ程の大きさを持つかは測れない。でもそれはとても小さなものであるという事は、宗教家とか物理学者の話から推測すると想像がつく。自分のうちの自分と対話する事がこの世であって、もうひとつの世界というのは自分の声だけなのかも知れないと思うし、ひょっとしたら対話しているもうひとりの自分は宇宙そのものなのではないかと最近よく思う。
2018.1.25 久米

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