こんにちは。
ティッシュの会、Q崎です。

今回わたしが記事を担当することになりました。
劇団の企画である「未知の扉を開ける日」とはべつの、頼まれてもいない体験談です。
お時間ある時に軽く読んで頂けたらと思います。


生花の講座をオンラインで受講した。
知人が生花をやっており、かねてより「花を生けること」に関心があったがやはり生け花の教室に向かうのは抵抗感があった。

事前に好きな花を選んで良いと言われていたので、リンドウ・ホオズキ・小菊を近所の商店街の花屋で購入。その花が好きだったというよりは花屋さんで気になったから買ったのがしっくりくる。
ホームセンターでたぶんハナミズキの枯れ枝とアルミ線を買った。
リンドウは1本150円✖️3、ホオズキ1200円、小菊1本200円✖️2で合計2050円、2000円にまけてくれた。ホオズキは1mにも届きそうな大物で、このまま生けると倒れると思った。
そこで、

1:切るか。
2:添木を使うか。
と考えた。

2:の添木を使うが良いと思い、朝顔・菊花などに使うプラスティックコーティングの支柱を使うか、枯れ枝を使うかでイメージして「枯れ枝」となった。(ホームセンターに行けばあるか…)とぼんやり思う。商店街から家に帰って(やっぱり切って使うか)ともよぎるがホームセンターに行くだけ行ってみようと思った。思いのほか花材としての枯れ枝、ドライフラワー用の材料があり逆にどれにするか迷うほどで気分があがる。適当なもの(300円也)とアルミ線購入。帰宅後、部屋の片付け掃除、昼食、準備と忙しくなる。3分前に招待状をもらったzoomのIDで入室する。
今日の講座テーマは「おもてなし」だった。もてなすの概念、哲学の奥の深いこと。最終的に「誰かお客さまが来るとして」という想定で生けましょうということになる。
自宅のポーチに生えているへデラも使いたいとしかし摘むことを忘れていたので、開始直後に先生にことわり摘みに行った。

誰をもてなすつもりで生けるか。なぜか死者のことが頭に浮かんだ。
いざ花を生ける段になり、手に取ってみたら気持ちが変化していく。まず枯れ枝を据えた。
1番大きいので自然とそうなった。それに添わすつもりだったホオズキを手に取ると(切ったほうが良い)というふうに考えるようになった。ちょうど半分くらいでがつっと切ってみて枯れ枝の横に置いた。そしてリンドウを高さに変化をつけて3本置くと(ひどいできばえだ)と思って焦った。
なんというか醜いというか騒々しいというか、汚いというか。その辺りの感想を想起させる印象でびっくりした。
びっくりしたものの(初心者だから当然だ)と思い直し、開き直って足元にへデラを置いてみた。葉がうまく面を見せてくれず配置に難儀した。しかしへデラを入れることにより先ほどまでの「醜い・騒々しい・汚い」が緩和されたように見えた。角度と配置に苦労して何度も挿し直した。小菊を入れたら一つのまとまりとして仕上がったように思え安心した。その状態で先生に見てもらうと(どういう思いで生けたか)(誰をおもてなしたかったか?)を問われ、亡き祖父母とお世話になった人を迎え、(やってやりました。と言いたかった)と伝えた。これは努力した取り組んでみた、しかし今一歩足らずで悔しい思いを持った、しかし仕方ないと思っている。というものの複合と反転の気持ちで、むしろ客人に〝慰め〟を求めているという思いがあるようだった。
時間が経って、思い返すとそういう意識がはたらいていることをみとめた。もしかしたら、先生には(善戦しました!わたし)というふうに伝わっていたかも知れない。ホウズキの立派さと、それを枯れ枝に添わしたかったということを伝え、しかしそのホウズキを〝切った〟ことを誉めていただけた。「あなたの手が入っている。作品として生きている」というようなことを言っていただけた。先生はどの花をどれくらい選ぶかでその時のその人の心持ちを読み解くことができるようで、ぼくのその時の状態も的確に読まれていてどきっとするようなこともいわれた。
手直しとして「〝切った〟部分も一緒に生けて、それをなぜそうしたか観る人に説明してあげたら?」とも言ってもらった。あと、リンドウの青とホウズキのオレンジのコントラストが強すぎるから、切ったものをリンドウの間に入れてみれば?というご意見だった。

ボリューム過多でコッテリした感じに仕上がった😊。
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