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これに出演するにあたり当初まったくちがう作品を持ち込む案もあったが、それは複数名登場する想定で進めたかった。
セレクションされた場所に、まったく評価を受けていないものを持っていくのも不安だったということもあったし今回は見送った。

「あのころたのしかったね」は今回で3回目の上演になった。
基本的なプロットは残すとしても、同じことをする気はないことは出井も同じ考えだった。
2月中旬頃にCTT大阪事務局から上演の打診があったので、そこから再構築に取りかかった。
前2作品ではぼくが女性という設定で話を進めるというプランだったが、今回はその役割を入れ換え、さらに年齢を少し上に設定した。
これは同性の友人同士の会話が話のベースになっているので出井が男性に成りすますなら、ひと回り以上年上のぼくに合わせてもらう必要があったからだ。
ぼくと同じく苦労したと思う。

たのしさ・たのしみとは?
何をもって人はその状態といえるのか。
という、しち面倒くさい命題を持ち、本来舞台が、演劇持っている可能性についても自分たちなりの問いを立てるということを意識して進めていった。
そうしてティッシュの会が現在あつかうべき問題について、また、私たちが直面せざるを得ない問題について考え話し合い、練り上げて臨んだ。
たいへん抽象的だがこれを文章で分かり易く、また適切に述べる技術を私は持ってないので気になるとしたら、観に来てほしかった。
それに感想は感想で、そこは演劇だからという、いくら言葉を尽くしても時間制約・経過の影響を受けやすい創作物だからでしょう。

以下はC.T.T.セレクション京都に出演された他団体にたいする、私(森嶌)の感想文です。


「ナマモノなのでお早めにお召し上がりください」

無人劇と紹介文にあったので、期待値が高かった。
ということはキビシめに観てしまうというのもはらんでいた。
布団が敷いてある。なんかペラいやつで2年半くらいそこに敷きっぱという感じ。
水の流れる音が聴こえている。
そこに電話(家電や携帯)着信がある。
視覚的には始まって5分くらいで飽きてしまう、それはそう全く視覚的には変化しないから。
そうすると目を噤んでみたり凝視したりとこちら側が工夫を凝らしだす。
頭の中でおしゃべりが始まる。
「これってまさに演劇の本質じゃねえか!?」と思いだした。
ただ眺める延々と、そしてそこにある情報から頭の中で物語を紡ぎ出す。
これは拘束(一定時間)されてないとできない行為だろう。
私たちは刑罰を受けたり、何者かに監禁でもされない限りそんなことを日常で体験できない。
そのある意味不自由な中で脳内は活発に退屈しないように働き出す。
事実ぼくはこの作品を鑑賞中に忘れていたどうでもよいことを思い出した。
じつはぼくはこういうことをやりたかったのでは思った。
微睡の状態、頭の中で見ている情景と眼で見ている事象の区別があいまいな状態、に鑑賞者を誘うこと。
これはこちら側から仕掛けて持ち込めるものではないと、この作品を観て思った。

「250km圏内」
第一印象は、名前がカッコイイと思ったことだった。
何やろうぼくには思い付かない名前で、まずそこでイメージがひろがる名前。
男女の二人が身体を密着させて、お互いの肉体を頼りにして(もたれ合って)立っている。
非常に緊張感とバランスに意識をはらい、一方が存在しないと立っていられない態勢から始まる。
女性が男性の身体をまるで木登りのよう無機物のよう扱い、はい上がったりする。
常に身体の一部、それこそ点、でしかないという部分に集中してるかの如くの動き。
ここで演じられていた二人、はけっして肉感的なタイプの人たちではなかった。
が、何とも言えない色気を感じ、これは何故かわからない不思議だった。
お二人とも軽く雑談などさせてもらった印象では、知的で創作にたいして真摯に、怯まず向き合って奉仕してきた表現者なんだろう。と思ったので。
中盤から台詞、ほぼ詩のような言葉が入る。
断片的なイメージの様にも感じるが、ダンスが言語として広がり補填する。担う。
肉体も言語なんだと改めて思う。
お洒落さ、即興性とそこはかなく流れるユーモア、がゲネプロを拝見したときの私の感想だった。

そして、
C.T.T.セレクション京都に推薦してくれた大阪事務局、京都の杉山さん、たいへんお世話になりました。

今回ご来場してくれたお客さま。
C.T.T京都のスタッフ皆さま、同じ空間・舞台で上演した、
ナマモノなのでお早めにお召し上がりください・250km圏内のメンバー、関係者の方々。
ありがとうございました。

またいつか一緒に何かできたらうれしいです。