今日はとても寒い日で東京の方では雪が降り、コンビニとか新聞配達の人は困っているらしい。大阪はまだ寒いだけで、冬だからこんな事もあるだろうという感じだけれど。こんな時、人々は真夏には熱中症で倒れる人もある事を忘れてしまう。日本の国には四季がありそれが人間の徳を育んで来たという側面もあると思う。今日の長所は明日の短所でありいつも絶対というのは存在しない。では絶対というのは存在するのか解らないけれど存在しないという形で存在するのではないかと思う。例えばこの世の中に必ず法則というのは存在するのであって、無秩序に存在するのではないはずである。無秩序であってもその方向性を目指すというそれはそれで法則である。目に見える物というのは結果であってある流れの内での一点にしかすぎないのであって次の瞬間はどうなるか判らない。ただ目に見えるものが結果というのはこの世の掟であって全体の流れの内ではそれがどれ程の大きさを持つかは測れない。でもそれはとても小さなものであるという事は、宗教家とか物理学者の話から推測すると想像がつく。自分のうちの自分と対話する事がこの世であって、もうひとつの世界というのは自分の声だけなのかも知れないと思うし、ひょっとしたら対話しているもうひとりの自分は宇宙そのものなのではないかと最近よく思う。
2018.1.25 久米