梅雨入りはこれからなのに初夏のようになってしまいました。私たちは、雪の降る冬も経験しているのに、今は、すっかりその事は忘れてしまっています。そんな感じで人間は、生まれる前の記憶や前の人生の色々な記憶を忘れてしまっているのかも判りません。私は、一日はある意味で一生の縮図だと思うのですが、この季節の連続性の中での人の記憶というのは、連続性の生の記憶の縮図なのかも判らないと今、これを書きながら感じました。何故こんな事を書くかと言うと、広島にオバマ大統領がやって来ました。抱き締められた被爆者の代表は、”最高のもてなしを受けた”と語っていたのが印象深く残っているからです。もちろんそれまでには、71年の年月が必要だったのだけれど、71年の間に加害者も被害者も色々な経験をして生きてくる。被害者は時として、別の場面では加害者の経験もするだろうし、本当の幸福とは、とか、ある出来事でも多面的に考えるようになるだろうし、それは無数の多面体だろうし、そこには正義も悪もないし、そこに行くしかなかったという現実もあるだろうし、人間は、宇宙から来て、地球に住む未熟な子供だという現実もある。許す事で成長するし、成長する事によって許す事も出来る気がする
2016.5.28 久米