春の訪れを感じるこの頃ですが、まだストーブを出したままです。まだ寒い日が来るだろうし、寒がり暑がりというのはたくさん居るのです。厳しい環境で咲く花というのは、不平不満を言葉にする事が出来ないから、自分なりに対応して咲くしか術を知らないから、とてもりっぱだと思う。環境は、天に与えられたものだから、植物は天と対話しているという事になるのだろう。でも動物は、人間も含めて天との会話というのを多くの場合忘れてしまっている。相手との対話というのは、誰でもよくやるだろうが、同時に生きている限り、天とも会話しているはずなのだ。人類が言葉を発明したのは、人類の歴史の中では、ごく最近の事だろうし、そのもっと後に文字が発明され、ほぼ完成形になったのだと思うし、だから自分を忘れかけた時というのは身体を動かして風を感じ、太陽を感じ、土を感じる事なのだと思う。やはり、自分の身体の内には、小宇宙があるだろうし、そして私たちは大宇宙の内に存在している。人間は老いて死んでしまうけれど、たぶん時間というのは、グラフで表現できるものではないだろうし、時間というのも人間の発明だと思うのです。
2016.3.25 久米