2016年02月




昨年11月に私がお世話になった、劇団「超人予備校」の主宰、魔人ハンター・ミツルギ氏のサイドプロジェクト「みつかね堂withばなな部」の紙芝居作品です。
ぜひご鑑賞してみて下さい!



“ 私ハンターが天王寺動物園でやってる
『ペンギンは空をめざす』
の第一話をパワーポイントで動画にしてもらいました。
10分23秒ほど暇なときに観てください。         
                   "                                          






























先日の試演会に来てくださった方と後日、鑑賞した感想含めいろいろとお話を伺う機会を得た。
印象的なワードとしては「小劇場は衝撃場」ということだった。

小劇場は「衝撃場であるべき」という、きわめて昭和的な喩えでありつつ、そうでなければ存在意義も根底から問われているだろうという意見。
ならばお金と時間どこ行った?てことかなと、という鋭い(ちくりと)意見を頂いた。

じっさい全て知らないけど、シーンは必ずしも盛り上がっていると自分は思えてないし(余暇の過ごし方アンケート取って、観劇をいったいどれくらいの人が挙げるだろうか)一時間なり二時間なりを拘束され、ある程度の教養も場合によっては必要とされそして観客としての力量も試されていることも有ろうかの観劇という一種のレクリエーション。

ある人にとってはライフワークまたはライフそのもの。

価値変換のきっかけになるもの、常識を問い直すもの「だけ」でもないだろうが、テレビ番組ですませられるものタレントさまがやっていることを敷居の高い劇場で再生産する意味は、ぼくにはないと思う。
かといって放送禁止故要修正ものばっかり並べ立てられて、しんどい気分になっていくのも・・・・。
バランス難いしいですのう。


どうやったら様々なプロフ欄、自己紹介のの4番目くらいに「観劇」なんだったら「劇作」って記入する人々が10倍に増えるだろうか。
ぼくの肌感覚としては、10倍増でも割合にすると余暇に趣味などを持つ人の2%程度かなと思ってる。
たとえそのくらいでも増えればより社会が「豊か」になるとちょっぴり信じてるし信じたい。


※画像は三代目ハムスター(みぃちゃん)です。NEC_0052




暖冬かと思えば突然寒くなったり、自然はいつも人智を越えています。人の能力はいくら優れていても自然の力には適わないだろうし、寧ろ、その力と共存して生きて来た歴史と言えるだろうと思います。私たちの学生時代”頭が良い”だとか言っていたけれど、それは走るのが速いとか、跳躍力があるとかと同じ事で、それだけではあまり役に立たなくて、それを活かしてどうするかという事の方が重要でそれを活かせなかった人はただの成績優秀者で終りで、それはそれで良いことなのだけれど、やはり人間は社会の役に立ってなんぼな訳で、学校の学習だけではその人の本当の能力は開花しないみたいなのです。それは私が社会を眺めていて思う事なんですが、本当の能力は総合力で、人とのコミュニケーション能力や思いやりや忍耐力、すべての力を総合して、色々な研究や事業も開花するのだと思うのです。あるカレンダーに、徳とは、知と信念とそれを支える忍耐力であると書いてありました。まさしく、言い当てていると思いました。そんな訳で日々徳を身に付けたいと思いながら仕事をするのだけれど、いざやり始めるとすべて忘れて、ただ必死に動くだけです。でも人が動くと書いて働くだから、それで良いのかもとちょっと思ったりするのです。
2016.1.25 久米

ぼくの尊敬する人のひとり、あるギタリストが前にこんなことを言ってまし た。

松本人志さんが、ダウンタウンがまだ売れかけだしていた頃、彼等は批判的な 視点・言動によって人気を博していった。
当時「お笑い芸人」は社会的認知度がまだまだ低く、マイノリティ(メディア 上の)言わば「弱者」な立場だった。
だから批判力・反骨精神を持ち得たし、それが小気味よく民衆の支持を得て いった。
またそのことを意識的に行っていたのでは。

しかしその頃からすでに三十年近く経つ現在、 tvを一日つけたら「お笑い芸人さん」の顔を見ないですます方が難しいし、高額納税者番付に入っている方もいるし、アナウン サーとご結婚されている方もおられる。
「お笑い芸人」は完全に社会的地位を築き、今や強い影響力を持った「強者」 に転じているのではないか。

そのことに無神経または鈍感な、一部の「芸人さん」が素人であったり、マイ ノリティな人たちをイジったりするのは、もう完全にイジメの構図になってい るのでは。

ひるがえって、マツコ・デラックスさんは自分の帯番組などで、様々な倒錯 者・オタク・マニア等を取り上げ番組内で紹介しているが、彼等に対する一定 の敬意をはらうことを怠っていない。
そこが、彼女(彼?)の上品であり知的なところではないかと。
それはトランスジェンダーの人々が、まだまだ社会的認知を受けているとはいえない時代背景のおかげか、または次元の高い判断力を持った人たちが出だし た兆しなのか。

という話をいつかに聞いて感銘を受けてたので、思い出し思い出しここに記しました。NEC_0125-1

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