ティッシュの会

大阪の演劇ユニット



梅雨入りはこれからなのに初夏のようになってしまいました。私たちは、雪の降る冬も経験しているのに、今は、すっかりその事は忘れてしまっています。そんな感じで人間は、生まれる前の記憶や前の人生の色々な記憶を忘れてしまっているのかも判りません。私は、一日はある意味で一生の縮図だと思うのですが、この季節の連続性の中での人の記憶というのは、連続性の生の記憶の縮図なのかも判らないと今、これを書きながら感じました。何故こんな事を書くかと言うと、広島にオバマ大統領がやって来ました。抱き締められた被爆者の代表は、”最高のもてなしを受けた”と語っていたのが印象深く残っているからです。もちろんそれまでには、71年の年月が必要だったのだけれど、71年の間に加害者も被害者も色々な経験をして生きてくる。被害者は時として、別の場面では加害者の経験もするだろうし、本当の幸福とは、とか、ある出来事でも多面的に考えるようになるだろうし、それは無数の多面体だろうし、そこには正義も悪もないし、そこに行くしかなかったという現実もあるだろうし、人間は、宇宙から来て、地球に住む未熟な子供だという現実もある。許す事で成長するし、成長する事によって許す事も出来る気がする
2016.5.28 久米



ゴールデンウィークも近づき、暖かいというより夏日になってきて、これから夏がやって来るんだなぁと実感します。熊本の地震で大きな被害を受けて、今避難所生活を送る人々はたくさんいます。又、休みを利用して海外に行く人もたくさんいます。まだまだ大変な福島で生活する人もたくさんいます。一方で何億円の報酬を受け取る経営者もそれなりにたくさんいるのです。でも、これが矛盾というよりは、宇宙なのかなあと思います。しかし、思いは時空を越えるから、被災した人たちのことを想い、被災地の物を買うとか、色々な事でつながり、改めて自分たちの恵まれている立場を思うと、今度は今の苦しみがとても小さな小さな事に思えるだろうし、それによって勇気を貰う事もあります。与える事は受ける事でもあるし、受ける事によって何かを与えているかもしれないです。アメリカから新自由主義が入って来て、より貧富の差が広がって、格差社会と言われるようになりましたが、こういう自然災害とかを経験しながら社会はどんどん変化して、気がつけば新自由主義とか、どこかに追いやってしまっているようになる気がします。結局の所、経済というのも人を幸福にするために生まれたものなのですから、そしてこれからは人の幸福だけ考えていたらダメなのかも判りません。動物や植物、そして山林、そこに流れる水の美しさ、それも含めて考えるのが新しい経済システムではないのかなあと考えてしまいます
2016.4.25 久米




春の訪れを感じるこの頃ですが、まだストーブを出したままです。まだ寒い日が来るだろうし、寒がり暑がりというのはたくさん居るのです。厳しい環境で咲く花というのは、不平不満を言葉にする事が出来ないから、自分なりに対応して咲くしか術を知らないから、とてもりっぱだと思う。環境は、天に与えられたものだから、植物は天と対話しているという事になるのだろう。でも動物は、人間も含めて天との会話というのを多くの場合忘れてしまっている。相手との対話というのは、誰でもよくやるだろうが、同時に生きている限り、天とも会話しているはずなのだ。人類が言葉を発明したのは、人類の歴史の中では、ごく最近の事だろうし、そのもっと後に文字が発明され、ほぼ完成形になったのだと思うし、だから自分を忘れかけた時というのは身体を動かして風を感じ、太陽を感じ、土を感じる事なのだと思う。やはり、自分の身体の内には、小宇宙があるだろうし、そして私たちは大宇宙の内に存在している。人間は老いて死んでしまうけれど、たぶん時間というのは、グラフで表現できるものではないだろうし、時間というのも人間の発明だと思うのです。
2016.3.25 久米




時折寒い日もありますが、日々春に向っている感じです。人間はどうあれ、時間は進んでいます。本当の所は、時間は進むものなのかどうか判りませんが、一応、そういう事にしておきます。先日、26年前にアルバイトしていた女性がやって来ました。当時18才で女の子という感じですが、今44才、女性という感じです。でも話をするとその時のお互いの気持ちの感覚で同窓会に行ったような気分になりました。現在、離婚して、3人の子供の母親です。やはり26年間には、みんな色々な事を経験しています。最後は同じ空気を吸っているのが耐えられなくなったと言っていましたが、空気はつながっていますから、ニューヨークの空気もこの辺の空気もどこかで連続しているとは思うのですが、そんな問題では無いようです。でもそうやって生きて行く決断をしたのですから、あとは進むだけです。先日来店したお客さんは、ホスピスをしていてどうも死に方は、その人の生き方のような気がすると話していました。同じような話を近所のお医者さんからも聞きました。どうやら知る人だけが知る万則というのがありそうです。不思議ですね。というわけで又待ってるよ、かをりちゃん。
2016.2.25 久米




暖冬かと思えば突然寒くなったり、自然はいつも人智を越えています。人の能力はいくら優れていても自然の力には適わないだろうし、寧ろ、その力と共存して生きて来た歴史と言えるだろうと思います。私たちの学生時代”頭が良い”だとか言っていたけれど、それは走るのが速いとか、跳躍力があるとかと同じ事で、それだけではあまり役に立たなくて、それを活かしてどうするかという事の方が重要でそれを活かせなかった人はただの成績優秀者で終りで、それはそれで良いことなのだけれど、やはり人間は社会の役に立ってなんぼな訳で、学校の学習だけではその人の本当の能力は開花しないみたいなのです。それは私が社会を眺めていて思う事なんですが、本当の能力は総合力で、人とのコミュニケーション能力や思いやりや忍耐力、すべての力を総合して、色々な研究や事業も開花するのだと思うのです。あるカレンダーに、徳とは、知と信念とそれを支える忍耐力であると書いてありました。まさしく、言い当てていると思いました。そんな訳で日々徳を身に付けたいと思いながら仕事をするのだけれど、いざやり始めるとすべて忘れて、ただ必死に動くだけです。でも人が動くと書いて働くだから、それで良いのかもとちょっと思ったりするのです。
2016.1.25 久米

撮影=北村洋


今年の冬は暖冬と言っていたけれど本当に暖冬で、年末年始も3月末から4月上旬の気温で逆にちょっと変な感じです。スキー場は雪不足でかなり困っているそうで大打撃です。やはり暑い時には暑く、寒い時には寒くないと本来、売れるべき物が売れないし、消費に与える影響はかなり大きいです。救急車で運ばれる人も例年よりも格段に少ないそうです。やはりこれだけ暖かいと脳梗塞になったりする人も少ないのでしょう。やはり今年は、今までとは違う何か大きな変化があるのではないでしょうか。サウジアラビアとイランが断交したり、関西だったらホテルがブライダルを切り捨てて宿泊客の確保にシフトしたり、大きな所から小さな所まで選択と集中が進んでいるし、これからもっとこれが進むのだと思います。それは当然私たちのライフスタイルにも変化を及ぼすだろうし、常識というものも変えるかも判りません。私たちの持っている道徳観というのも変わるのだと思います。これから産まれてくる人や、今すでに産まれている子供たちは、男性上位の社会を知らないかも判らないし、王将の坂田三吉の小春さんの事をビックリするんじゃないかと思ったりするんです。
2016.1.5 久米

この公演は終了しました。写真映像を公開しています。

ティッシュの会は、C.T.T. SELECTION 2016 in OSAKAに出演します。2015年2月の試演会を経て、C.T.T.大阪事務局から声をかけていただきました。
上演するのは、『あのころたのしかったね』(出演・構成= 森嶌正紀,出井友加里)という作品です。
参加する全4団体の上演のあと、合評会があります。また、2日目にはシンポジウム「21世紀に於ける民間劇場の在り方」が開催されます。
[チラシおもて面:PDF]
[チラシうら面:PDF]


■日時
2016年
1月23日(土) 18:30開演 (18:00開場)
1月24日(日) 13:00開演 (12:30開場)



■会場
ウイングフィールド
大阪市中央区東心斎橋2-1-27 周防町ウイングス6F
地下鉄堺筋線「長堀橋」駅 7番出口 徒歩3分。御堂筋線「心斎橋」駅 6番出口 徒歩10分。
会場は土足禁止です。脱いだお履物を入れる袋を入口にてお渡しします。


■上演協力金
1500円(予約・当日共通)


■出演団体
World Wide Works 【愛媛・松山事務局推薦団体】
八津田茂(元佐野洋子)【大阪】
カウパー団【大阪】
ティッシュの会【大阪】


■予約フォーム
https://www.quartet-online.net/ticket/cttosk


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★シンポジウム開催:21世紀に於ける民間劇場の在り方
21世紀に於いて、民間劇場はどんな役割を担うべきでしょうか。
全国各地で展開されている様々なアートフェスティバルは、アートの枠組みを大きく変えつつあります。そんな中、一つの場所に留まり、貸し館を中心に行う小劇場はまだまだ多いようです。
単なる箱であることから抜け出し、舞台芸術の更なる発展を担う場として、民間劇場はどういった未来を描けるのでしょうか。
各地域で活躍する劇場関係者をお招きし、民間劇場の在り方を探る中で、各地域の演劇事情についても触れていきます。
作り手も観客も、自分の居場所を相対的に見つめ直す機会になるでしょう。

【日時】2016年1月24日(日) 16:30~18:00
【入場料】500円(セレクション半券をお持ちの方は無料)
【ご予約】シンポジウムのみの予約も可。https://www.quartet-online.net/ticket/cttosk
【ゲスト】大和田忍(ナンジャーレ/名古屋),杉山準(アトリエ劇研/京都),鈴木美恵子(シアターねこ/愛媛)
【司会】伊藤拓也(C.T.T.大阪事務局代表/演出家/吹田)

2016/1/22 追記
ゲストとして、出演を予定していた福本年雄さんが、体調不良により出演できなくなりました。
http://cttosk.blogspot.jp/2016/01/124.html


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お問い合わせ(C.T.T.大阪事務局)
E-MAIL cttosk@gmail.com
電話 090-9854-2295


企画・制作 C.T.T.大阪事務局
共催 ウイングフィールド
協力 C.T.T.松山事務局 C.T.T.京都事務局 C.T.T.名古屋事務局


C.T.T.大阪事務局 公式BLOG: C.T.T. SELECTION 2016 in OSAKA http://cttosk.blogspot.com/2015/12/ctt-selection-2016-in-osaka.html




今年は、暖冬であると言いますが、11月も終わりなのに、まだまだ暖かいです。今までにも暖冬と言って、とても寒い冬もありましたから、終ってみるまで判りません。やはり、自然は、人の知恵や想像を越えていますから、自然に寄り添うしかないのだと思います。フランスのテロでいよいよ世界は戦争なのだと思います。9.11そしてフランスのテロ、この流れは、後に歴史的に考えると第3次世界大戦という事なのだと思います。やはり世界には武器商人というのが存在していて、それが各国の政治家とつるんで紛争を起しているのだと思います。ある面では、今回の事件で第3次世界大戦へと進む形は、戦争屋の最終段階で、これでみんなボロボロに傷ついて、真の意味の平和が訪れるのかも判りません。そうやって武器商人というのは世の中から退場して行くのだと思います。"金持ち喧嘩せず"で不況が続いて、人々の生活が行き詰まり貧しくなって行くと必ず戦争になり、好景気で人々の生活が豊かな時代には戦争というのは起きません。戦争というのは、経済格差と著しい貧困が引き起す人間の悲しい必要悪なのかも判りません。豊かさとは何か考える時代のような気もします。
2015.11.25 久米




ちょっと涼しくなって来たら、暖かかったり、気候は一進一退を繰り返しながら秋から冬へと向っています。自然がそうなら、世の中はとても大きな曲り角に来て居て、ドイツのフォルクスワーゲンとか、三井不動産や旭化成の事とか できごとが大き過ぎて、本体が消えてしまいそうな事が起きています。これは、以前、証券業界で起きた顧客への利益着け換えに似ていると思います。その後、証券不況で飛ばしとかで山一証券とか倒産したし、業界全体が沈みました。でも、今起きている現象は業界を越えて社会全体で起きている事で、不況の中、一部の優良と言われる企業は、業績が良いと言われていたが、実はそれには、こんな事が隠されていて、上げ底だったとか、みんながごまかしをやっていて、優良企業と呼ばれるほとんどの企業が社会的信用を失って行くような事が起きて来るかも判りません。そして一度、みんなが大切なものを失った事に気づいて、色々な事や物が再生されて来るように思います。昔、矜恃に生きた企業戦士や、職人たちの心が、そこから取り戻されて来るように思います。破壊と創造で、このまま社会が進んで行くようでは、寂しい社会になるような気がします。
2015.10.25 久米






今年の秋は、例年よりも早いように思います。世の中がどうあれ、時は流れて季節は変わります。参議院で安保法制が通過し、マイナンバーというのが突然出てきたりしても、庶民は、今の時代の今のこの時を生きて行くしか無くて、中小企業、零細企業のほとんどすべてが今の時点では、良い所は無くて、横向きあるいは、下向きだそうです。ほんの少し前までは、僅かですが上向きというのもあったそうです。これからの庶民の生活というのは、大変だと思います。そして、多くがそうですが、庶民がお客さんの商売も大変だと思います。自分の個性と特性を考え、そして地域の特性、気質を考えて、この地でどうやって、自分を店を生かして行けるかというのを考えて、この隙間を信じて進んで行くしか道は、無いのだと思います。そして、その結果というのは神様だけが知っていて、つまり、やってみなければ判らないのだと思います。いつの時代も生きて行く気さえあれば何らかの形でなんとかなるもので、着地点というのは自分の想像出来ない所にある事もよくある事です。同じ位置に立って居ても、信じる人と信じる事の出来ない人では、結果が大きく異なるものです。ここは、未来の自分がどうなっているのか楽しむというのもひとつの方法だと思います。
2015.9.25 久米



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